こんにちは!
須永 学(すなが まなぶ)と申します。
今から約30年前のことです。
夢と希望、それから多少の不安を抱えながら
当時20代だった私は単身アメリカに渡りました。
目的は子供の頃の夢を叶えるためです。
私の夢、それは・・・
パイロットになることでした。
群馬の田舎で生まれ育った私は
幼稚園のバス旅行で東京の多摩動物園に行きました。
途中休憩のためバスは米軍の横田基地に隣接した
ドライブインに立ち寄ったのです。
(ドライブイン・・・時代を感じる言葉ですね。 笑)
その時、生まれて初めて
本物の飛行機を目にしたのです。
太陽の光を浴びて銀色に輝く翼が眩しかったのを
今でもはっきりと覚えています。
もちろんテレビなどで見たことはありましたが、
あんなにも大きな金属の塊が轟音と共に
いとも簡単に空中に浮かんでいく様を
間近で見る迫力に圧倒されました。
それからというもの
手にするおもちゃや
お絵かきの時間に描くものなど
全て飛行機になったのです。
飛行機に乗りたい!
自分も空を飛びたい!
そんなことばかり考えていた私は
大人になったら自分の手で飛行機を操縦したいという
思いが芽生えパイロットになることが
私の夢になったのです。
その後、小学生になった私は
早くも試練に直面することになります。
あれは4年生のときの身体測定でした。
いつものように身長、体重、視力検査など
ごく普通の測定を進める中で
あれ!?っという状況におかれたのです。
出席番号が私より前のクラスメートたちから
「何なのこの検査は?」
「数字とひらがなを読むだけじゃん!」
という声が聞こえてきました。
めちゃくちゃ簡単な検査なんだろうなと
思っていました。
私の前の子もすらすらと答えていました。
いよいよ私の番になりました。
先生:「数字を読んでいってください。」と
冊子型の検査表を差し出されました。
表紙をめくり1ページ目を見ると
色んな色のドットが不規則にちりばめられていて
(どこに数字があるんだ?)
私:「分かりません」
先生:「じゃ、これは?」
私:「分かりません」
・・・・・
結局、一つも読むことが出来ませんでした。
その日の放課後、私はもう一度
保健室に行くようにと担任から告げられました。
行ってみると、他に3~4人も呼ばれていました。
つまり再検査です。
結果は同じでした。
これを読んでくださっている皆さんなら
もうお分かりだと思います。
そうです。
私は色覚検査に引っかかったのです。
これがどういうことを意味するのかについては
次回お話しすることにします。
コメント
はじめまして、パイロットになりたい高校三年生の女子です。まずはこのブログを書いてくださっていることに本当に感謝します。私の話になりますが、進路に迷って本当にやりたいことは何か自分に問うた時、パイロットというのが真っ先に浮かびました。しかし周りに航空関連の知り合いもいない、今まで自分は文系人間だと思っていたので物理の知識も中学レベル、そんな心細い状態でとにかく調べることから始めようと、FAAの存在を知りさらに検索をかけたらこのブログにたどりたきました。非常にわかりやすい説明に、実体験を基にしたお話まで、右も左も分からなかった私には本当に本当に助かります。まだ序盤しか読めていませんが、少しでも目標に近づけているようで嬉しいです。親の助言もあり大学の受験勉強との並行にはなりますがパイロットになるための学習にも励んで行きたいと思います。長々と失礼しました。本当にありがとうございます。これからもお世話になります。
かいかい様
はじめまして、須永です。
熱いコメントをありがとうございます!
パイロットにかける想いがひしひしと伝わってきました。
私は現在、FAAのプライベートパイロットの筆記テストに的を絞り
対策用のブログを書いております。
私がパイロットに挑戦していたのが今から30年も前のことです。
当時と比べて新しい内容も入ってきていますので
もう一度勉強し直しながらの投稿ですので
毎日更新というわけにはいかないのが現状です。
プロのパイロットにはなれませんでしが、
これから空を目指す人の少しでもお役に立てればという思いで
取り組んでおります。
微力ながら、かいかい様のお力になれるように
頑張っていきますので、
どうぞ宜しくお願いします。
余談ですが、読者の方で
ヘリのライセンス取得のため
このGWにアメリカのオレゴン州にて
訓練を開始したOLの方がいらっしゃいます。
かいかい様も近い将来続いてくださいね。
応援しています。
改めてメッセージありがとうございます。
今後とも宜しくお願いします。
須永 学